同じ場所から生まれる、分かち難きもの

新型コロナウィルスの感染拡大により、当初予定していた展覧会開催は見送ることとなった今年の「GO FOR KOGEI」。せっかくの機会なので、総合監修・秋元雄史が出品予定だった作家さんに会いにうかがうことにしました。一人目は陶芸作家・伊藤慶二さん。「お仕事ぶりに、工芸独特のスタンスを感じる」と秋元さんが注目する作家のお一人です。工芸とアートの間、そもそも“工芸的なもの”の定義とはー…?岐阜県土岐市にある伊藤さんのご自宅におじゃまして、お二人の対談をお送りします。

  • 伊藤慶二さん。自宅に隣接した工房にて

  • 作業机のまわりには、長年伊藤さんが蒐集してきたものたちや自身の作品が並ぶ

秋元:ご自宅までおじゃまさせていただき恐縮ながら、本日はどうぞよろしくお願いします。それにしても素敵なご自宅ですね。随所に伊藤さんの愛着が感じられるというか、暮らしの工夫が感じられて。

 

伊藤:どうってことない昔の和風住宅ですよ。ただ、この間取りでリビングを吹き抜けにしたのは当時としては珍しいのかもしれません。個人的には清家清(※)の建築なども好きなんです。

(※)清家清(せいけきよし)…西洋の近代建築と日本の伝統美を融合した住宅を提案した建築家。近代の住宅建築において大きな功績を残した一人とされる。(1918-2005)

 

秋元:あぁ、そうですか。清家さんもまた独特な建築をされていますよね。近代建築の和風化というか。

 

伊藤:僕みたいなのは、最近のマンションのような画一的な空間には住めないでしょうね。すぐにはみ出しちゃいそう(笑)。

 

秋元:やはり息苦しいですか。

 

伊藤:最近の建物には質感というか重量感がない。土壁なんてまずないですし、重量感があるとすればコンクリートなどになってしまう。味気ないですよね。

  • 地元の大工さんが建てた和風住宅

  • 和風住宅には珍しい吹き抜けのリビングから続く階段

  • 飾り棚には伊藤さんが集めたもの

  • 床の間

「アイデア」とは違う「手の仕事」

 

秋元:さて、今回のお話を「工芸って、どんなものだっけ」ということを、もう一度考えていくきっかけにできたらと思っています。それは当初予定していた展覧会で伊藤さんに声をかけさせていただいた意図と重なるところもあるのですが。何か教条的な話にしたいわけじゃないので、ゆるりとお話うかがえたら。

 

まず、時系列にうかがっていけたらと思うのですが、伊藤さんは美大では“絵”を勉強されていますよね。現在は陶芸をされているわけですが、当時は画家になりたいというお気持ちがあったのでしょうか?

 

伊藤:いやいや、画家になろうなんて大層なことは考えていませんでしたけど、単純に絵が好きで。森芳雄氏(※)ですとか、好きな絵描きさんが先生をされていたので武蔵野美術学校を選びました。

(※)森芳雄(もりよしお)…昭和から平成にかけて活躍した洋画家。東京芸術大学・武蔵野美術大学で後進の指導に当たる。(1908-1997)

 

秋元:そうでしたか。では、漠然と美大に進んだというよりも、森芳雄や麻生三郎といった面々から指導を受けたいという想いがおありだったわけですね。どうして若い時からそんなはっきりとした目標をお持ちだったんでしょう。

 

伊藤:なんとなく…ですね。この辺り(土岐・多治見)は焼き物のメッカですから、高校にも窯業コースや図案科という、珍しい学科があったんですね。そういった土地柄なので、日展系の先生が多かったのですが、私が所属していた絵画部の先生は二紀会(※)の方で。官展以外の先生に見てもらったことが、今思えば幸運だったというか、ある意味で視野が広がったのだと思います。

(※)二紀会…一般社団法人 二紀会。公募展「二紀展」を主催。「美術の価値を流派の新旧に置かず、皮相の類型化を排する」といった創立精神を掲げる。

秋元:そして大学を卒業されてから岐阜に戻られて「岐阜県陶磁器試験場(現・岐阜県セラミックス研究所)」のデザイン室に入られていますね。それは陶磁器のデザイナーとして、ということですか?

 

伊藤:そうです。陶磁器試験場に入って、非常勤で来ておられた日根野作三先生にお会いするのですが、そこではじめて自分にとって「焼き物での表現は多岐であり、その可能性は自由である」と定義づけられたというか。

 

秋元:そのときに日根野さんから一番影響を受けられたのはどんなことでしょう?

 

伊藤:先生はクラフト系の方なので、“アイディア”とは違う“手の仕事”というものを重視されていました。「微量生産で良いから、手仕事で」と。生活工芸ということもされていたので、僕もまず、自分の作った器で食事することからやってみようと。そうすることで、自分のつくるものやテーブルウェアも変わってくるのではと。

 

  • 日根野作三は戦後日本を代表する陶磁器デザイナー。「日本の陶磁器デザインの80%は日根野氏がつくられた」と濱田庄司からも賞賛の言葉を贈られている

     

  • 日根野氏にまつわる資料を読みながら

なくなったのは「生活」

 

秋元:陶磁器試験場ではデスクワークのデザイナーとして働いておられましたが、ご自身で手を動かして、作陶までされるようになったのはどういったいきさつで?

 

伊藤:陶磁器のデザインをやっていくうちに、職人さんたちとのコミュニケーションが難しいなぁと感じる場面が増えて来たんですね。紙の上のデザインと、立体がつながらないというか。じゃあ自分でやれば、なんとか形になるんじゃないかと思いまして。

 

秋元:紙と立体の矛盾が、自分でつくれば統合できると。(日根野氏の資料を読みながら)ちなみに、なぜこういう仕事って無くなってしまったんでしょうね。職人にデザインを提供する“意匠家”のような。そこには初期の原初的なデザインの姿があるように思えるのですが。「デザイン」と、「職人的にものをつくること」の中間というか。

 

伊藤:クラフトという言葉自体が、死語になったからではないかと僕は思います。北欧などでは、まだクラフトというものが自然と生活の中に染み込んでいるものだけれど、日本だと工芸といっても“伝統工芸”の在り方が強いというか。クラフトのようなものは軽視される節があるように思います。

 

秋元:ちなみに、今「クラフト」に変わる言葉があるとしたら、何でしょう。

 

伊藤:ないのではないでしょうか。簡単なところで言うと、5人家族がいれば5つの飯碗があって、5つの湯のみがあって…という暮らしももうないですし。今はコンビニで食事を済ませたり、生活の楽しみというか、暮らしをエンジョイする姿勢というのはなくなってきていると言ってもいいのではないかと思います。

 

 

 

秋元:非人間的な生活環境になってきていますからね。「クラフト」がなくなったというより、「生活」の方がなくなったっと。

 

伊藤:そうですね。生活に付随して、クラフトも一緒になくなってしまった。

 

暮らしの道具と、アートの間で

 

秋元:伊藤さんは1963年に日本デザイナークラフトマン協会(※)に入会されて、この辺りから公募展を中心に出品されていますね。毎日国際陶芸展に出品されている作品を拝見すると、かなりアートっぽいというか。先ほどお話しされていた“クラフト”のお話しからまた一気に雰囲気が変わりますよね。それはご自身の中では両立していたんですか?

(※)日本デザイナークラフトマン協会…現「公益社団法人 日本クラフトデザイン協会」。芳武茂介氏らにより1956年に設立された。

 

伊藤:はい。使うものと、アートに近いものと。二本の柱は意識していました。

秋元:それは否定しあうものではなく、両方自分の中にあると?

 

伊藤:そうですね。

 

秋元:その部分が伊藤さんのすごくユニークなところだと思うんです。「工芸は使うものなのか、アートなのか」という議論によくなるじゃないですか。伊藤さんの中ではどうして両者が違和感なく両立するのでしょう?

 

伊藤:さぁ、どうして…?暮らしの器をつくると同時に、土というのは自由に表現することができると。若い頃にキャンパスに描いていた絵が土に変わったくらいの感覚というか。別にそこに大きな違いがあるとは感じません。

 

秋元:しかし、実際に道具をつくるときは、使い勝手などある種の“客観的な視点”が入ると思うのですが、そこと“自由に表現をする”ということの間には、埋め難いものがあるのでは?

 

伊藤:どうでしょう。両者とも同じ天秤にかかっているのではないでしょうか。

 

秋元:つまり、器の中にもある種の遊びのようなものがあり、逆に表現の強いもののなかにも何がしかの用のようなものがあり…ひとつのもののなかにその両面があるということでしょうか。しかし不思議なのは、どの辺りでそれらが一致してくるのでしょう?

 

伊藤:40代頃から、生活工芸とアート作品と、僕の中ではっきり路線は分かれていったように思うんです。でもそれはこう(手でY字をつくりながら)進むのではなくて、隣り合って平行して進んでいるというか。そんな感覚なんです。「こうじゃなきゃいけない」という何か決定的な想いは、自分の中にはないですね。

  • 床の間に飾られていた伊藤さんの壺を見ながら。胴体のみろくろで挽かれた独特な作り

秋元:例えばこういった器をつくるときと、造形的な作品をつくるときと、意識としてはどのような違いがあるますか?

 

伊藤:やはり、それ(工芸品)には使われる用途があるということだと思うんです。それは花を入れるといった単純なことであっても、または別に花を入れなくても良い。ここに花を入れられる「口」があるということが大事で。もしここに口がなければ、この物は用途を失ったものとなります。反対に例え平たいであっても、取っ手をつければ一つの用途を満足させられる。

 

秋元:なるほど。ちなみに私はバックグラウンドが現代アートの方からきているもので、今おっしゃったような「道具とオブジェの両面をもつ」ということが、なかなか感覚的にすんなり入ってこないんですよね。
工芸の方でも、いっとき前衛系の作家が用途を否定して、よりコンセプチュアルな方向に行った時期もありましたが、伊藤さんのお仕事を拝見していると“工芸独特のスタンス”があるように感じるんですよね。先ほどおしゃったような「用途」も、一般的に想定されるものより随分とフレキシブルなイメージというか。

 

伊藤:「こう使いなさい」と、決定づけるものは何もないんじゃないかと私は思うんです。平皿だって、カップソーサーのようになればそれまでですし。

  • 「古道具 坂田」で購入したもの。アフリカのもので、足につけて、中に玉を入れ音を鳴らしながら踊る道具だったそう。オブジェのように飾られている。

秋元:では“日常的なもの”と、アートが持つ自由さゆえの“非日常的なもの”との葛藤は、伊藤さんの中にはないのでしょうか?生活の場って、ある種の保守的な場でもあると思うので、長年のパターンというのが随所に残っていたりすると思うのですが、それらとの衝突というか。

 

伊藤:ないですね。用を持ったものでも、すごくアートに近いものってあるんじゃないかと。例えばボウルでも、そこに蓋をしてしまえば、アート作品になりうるのかもしれない。あまり、自分の中でそういった分類は意識していないです。

 

秋元:その辺りがすごく面白いですよね。現代アートをやっていると、ときおり日常というものが足かせに思えるときがあって。日常を壊したり、否定したりすることがクリエイティヴだと考えがちじゃないですか。そういったものづくりのダイナミズムで考えていくと、生活で使うものとアートは両立しなくなる。でも伊藤さんはそうじゃないですよね。そこがすごく興味深いと言うか、僕が知りたいところなんです。

 

伊藤:どうでしょう。それは「こうだからこうです」って、概念的に説明できるようなものじゃないと思うんですよね。

秋元:では、作品のフォルムを決めるものって何なのでしょう?伝統工芸には様々な様式があるわけですが、その中から引っ張ってくるということはありますか?

 

伊藤:それは全くないですね。もう自分の感覚というか。もちろん、勉強していく中で古典というものは目にしますから、自分のどこかにはあるのかもしれないけれど。例えば、縄文土器のあの形というのは、もしかしたらイメージしているのかもしれない。

 

秋元:かなりプリミティヴなところまでいくんですね。ちなみに伊藤さんの作品には、人の顔であったり体だったり、様々なモチーフがありますが、すべてどこかでつながっている感じがします。テーマとしてはひとつのことをされているとお感じなのでしょうか。

 

伊藤:どっちに向かっているのか、ということは僕にも分からないんです。とにかくあちこちに枝を伸ばしている感じでしょうか。ただ、あまり抽象的なものは好きじゃないですね。どこかに具体的な匂いがないと、僕はつくれないですね

 

“土”が統合するもの

 

秋元:伊藤さんはご出身も土岐市で、現在もここ土岐市にご自宅と工房を構えておられますが、土地へのこだわりというのは何かお持ちなのでしょうか?

 

伊藤:ここに自分が存在する意味合いといいますか。ここは安土桃山期に焼き物の大きな改革(※)をしている土地です。そういった気概がある場所にいるということに、私はすごく誇りを持ちたいと思っています。

(※)…岐阜県美濃地方では、安土桃山時代に新しい釉薬のかかった焼き物「美濃桃山陶」が誕生している。日本陶磁史における画期的存在。

 

秋元:他の場所で制作するのとは何か違いますか。

 

伊藤:そうですね、例えば信楽に行って、自分が同じ仕事をできるかと言われると、できていないのではないかと思います。

  • ご自宅の庭。不思議な存在感を放つオブジェ

秋元:あぁ、それは意外でした。伊藤さんはもっとコスモポリタンなスタンスで制作されているイメージでしたが、「この場所があって自分がいる」とお考えなんですね。では焼き物を仕事として選ばれたのも、ある種自然な流れで?

 

伊藤:はい。小さい頃から、近くに窯場があって、煙突から煙が上がっている風景の中で育ってきているので、何の抵抗もなく。

 

秋元:意外と、そういうところなのかもしれないなぁ。今日色々とお話をうかがわせていただきましたが、伊藤さんは一貫して理屈っぽく語られないというか、すべて自然にされている印象を受けました。

それがどうしてできちゃうのかが、すごく不思議なところで。割とみんな頭で考えて、どこかで「答え」を出そうとしちゃうので。そういう意味では、そして我々みたいな職業は伊藤さんのような相対化できない作家さんについて書くのは難しいんです(笑)。

 

伊藤:とらえどころがなくて、すみません(笑)。

 

秋元:いえいえ、だからこそ惹かれてしまうのです。貴重なお話をありがとうございました!

 

PROFILE

伊藤慶二(いとう けいじ)

1935年岐阜県土岐市出身。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。岐阜県陶磁器試験場(現・岐阜県セラミックス研究所)デザイン室に勤務(~ ’65)。同試験場にて日根野作三に師事。多治見市陶磁器意匠研究所(~2000)、 石川県立九谷焼技術研修所(~現在)の非常勤講師も務める。

柳田 和佳奈(ライター/有限会社E.N.N.)

1988年富山県黒部市生まれ。富山大学芸術文化学部 文化マネジメントコース卒業。金沢で地元情報誌の編集者を経て、現在は有限会社E.N.N./金沢R不動産でローカルメディア「reallocal金沢」の運営などをしている。